理証(理論的整合性)

その宗教の教義や主張が道理に適っているかどうかというのが「理証」である。
創価学会は自分たちの教義・主張こそ道理に合っていると宣伝しているのだが、
創価学会によれば、この宇宙は「南無妙法蓮華経」という根本の法則によって動いており、その宇宙の根本法を形として顕わしたものが日蓮の曼荼羅本尊なのだという。
そして、その曼荼羅本尊に向かって「南無妙法蓮華経」という法華経の題目を唱える事によって宇宙の根本法則とリズムが合致して、仏界の生命が湧現し、人生がうまく行くようになり、崩れない幸福境涯を築く事ができるようになるのだという。
逆に、創価学会の本尊に題目を唱えなければそれは謗法(法を謗る事・法に背く事)になり、幸福にはなれないのだという。
この理屈で行けば、「南無妙法蓮華経」という言葉を唱えていない人は皆不幸になってしまうという事になるのだが、
世の中を見渡してみれば判るように、別に「南無妙法蓮華経」を唱えてなくても成功している人や幸福になっている人はいくらでもいるものだ。
そもそも、その「南無妙法蓮華経」という言葉は、
日蓮が法華経の文の底から取り出した宇宙の根本法であると説明しているように法華経を基にしているものなのだが、
当サイトの「文証」のページでも論証したように、法華経は文献としての証明にはならない事が明らかになっている。
文証としての証明になっていないものが道理としての証明になる訳がないのは当たり前の話である。
しかも、創価学会は日蓮正宗の信者の団体だった頃は、
日蓮正宗総本山大石寺にある弘安二年十月十二日の本門戒壇の板曼荼羅を根本としなければ功徳はなく幸福になれないと主張していたのが、
日蓮正宗から破門された後の2014年(平成26年)、創価学会は会則変更し、
それまで信仰の根本としてきた大石寺の大本尊を正式に信受の対象ではないと発表している。
あれほど大石寺の大本尊は絶対的な宇宙の真理だと言っていたのが、簡単に変えているのである。
しかも「広宣流布のための御本尊を学会が認定する」と勝手に決めているのだ。
創価学会にとって根本とすべき本尊は宇宙の法だと言っていたのが、
その宇宙の法を創価学会が勝手に変えて良いとしたのである。
こうなると完全に教義は破綻状態であり、道理も何もあったものではない。
それ以外でも、創価学会では信者向けの非公式の教義として、
公明党支援の選挙活動をすれば福運が積まれて幸福になるとか、
「財務」という創価学会への寄付に高額寄付すればするほど福運が積まれ何倍にもなって返ってくるとか、
その「財務」に出し惜しみすると不幸な目に遭うとか、
創価学会の機関紙「聖教新聞」を販売拡張し、自分でも複部数購読すれば福運が積まれて幸福になるなど、
宗祖としている日蓮が言ってもいない事をまるで宇宙の真理であるかのように指導しているのだが、
これなどの主張には、何ら論理性も道理もない事が判るだろう。
「御書根本」と言っていながら、御書にも書いてない事をあたかも正しい仏法の教えであるかのように信者を指導しているのだから、
創価学会には理論的整合性など何もなく、ただ自分たちの利益追求の為に仏教を、あるいは日蓮を利用しているだけだという事がこの事からも明白である。